これまで本ブログでは、様々な節約方法を紹介してきました。しかし、それでも節約に取り組めない、取り組み始められない方はたくさんいると思います。そんな方は、本記事で紹介する強制的な貯蓄方法を用いて、資産形成を進めていきましょう。本記事に記載されている内容も実践できない方は、資産形成を諦めて、いまを謳歌してください。 本記事の内容は、「私の財産告白」の内容を引用したものになります。
本多静六とは
本多静六は、1866年埼玉県で生まれ、1952年85歳で亡くなっています。「日本の公園の父」として知られ、明治神宮などの公園の設計に多数携わっています。「私の財産告白」は1950年、本多静六が84歳のときに執筆されたものです。
本多清六のすごいところ5選です。
- 超インテリ(大学を主席で卒業、博士号取得(ドイツ)、東京大学の教授に就任)
- 貧乏を圧倒し40歳で経済的自由を達成
- 「三井」や「三菱」と競争しながら60歳で大富豪に
(しかし、老後資金のみを残し、それ以外の全財産を寄付) - 戦後、老後資金を没収され無一文になるが「120歳まで生きられる」と断言
- 生涯現役で全370冊の著作を残す
超インテリ
本多清六は、9歳の時に父親を失ってから苦しい生活を送ることになりました。その苦しい生活をバネにして、19歳で東京山林学校(現東京大学農学部)に末席で入学して、主席で卒業しています。その後、私費でドイツに留学し、ミュンヘン大学で経済学の博士号を取得します。さらに、25歳で東京農家大学(現東京大学)の助教授、最終的には東京大学の教授に就任し、60歳の定年まで勤務していました。
貧乏を圧倒し40歳で経済的自由を達成
25歳で東京農家大学の助教授になったときに、親戚一同から「一生安泰だから、ついていこう」となり、9人を扶養し稼いできたお金は全て使われてしまったようです。この状況を脱するために、逆に貧乏を圧倒しなければならないと決心し、「本多式貯金法」を生み出しました。この貯金法を25歳から始めて、15年目の40歳を迎える頃には、大学の給料よりも貯金による利子や株式の配当の方が上回る状態となりました。生活費を資産所得によって賄えるようになり、生活するために働かなくてもいいという「経済的自由」を達成しました。
「三井」や「三菱」と競争しながら60歳で大富豪に
本多清六は、貯金したお金を投資によって増やしていました。投資対象は、株式と山林の2つです。本多清六は冒頭で話した通り「日本の公園の父」と呼ばれるぐらい山林について詳しく、土地に対する見る目が養われていたと言えます。その知識を用いて三井や三菱よりも先に、土地を買い集めていたので、三井や三菱が土地を探すたびに、本多清六の名前が上がってきたようです。投資を始めて30年過ぎた頃には、多額の貯金と株式や家屋、さらに広大な田畑や山林、別荘などを所有していました。しかし、60歳で定年を迎えると同時に、「人並み外れた莫大な財産は身のため子孫のため有害無益である」と考え、生活に必要な資産以外は全ての財産を公共事業に寄付したとされています。
戦後、老後資金を没収され無一文になるが「120歳まで生きられる」と断言
戦後の日本では、財産税や非戦災者税が課されて、本多清六が所有していた株式や山林などの資産も没収され、残ったのは土地と家屋だけとなりました。しかし、質素倹約な生活を徹底することで、「慢心と、贅沢と怠惰とを厳に戒めさえすれば、120歳以上までは無事に生きられる」と発言しました。並大抵ではない精神力によって、ここまで自分を厳しく律していました。
生涯現役で全370冊の著作を残す
本多清六は、25歳のときに本多式貯金法の導入と並行して、1日1ページの文章執筆を始めました。この習慣によって築かれた恩恵は、後に原稿料と講演料を生み出しました。
4分の1天引き貯金法
ここまでで本多清六のすごさは十分に伝わったことでしょう。しかし、皆さんの関心は歴史上の人物そのものではなく、今を生きる我々にとって堅実に貯金するためには、どのような方法があるのかだと思います。ここでは、本多静六が実践した貯金法について詳しく説明していきます。
結論を簡潔に説明するとタイトルにも記載してある通り、収入の4分の1を最初からなかったものとして強制的に天引きして貯金します。つまり、残りの4分の3のお金で生活費を賄うということです。「私の財産告白」と同じように財産の築きかたについて記載されている「バビロンの大富豪の教え」では、「収入の10%を貯蓄せよ」と書かれており、時間をかければ十分に富を築ける数値となっています。
それと比べて本多清六の「4分の1天引き貯金法」は、2.5倍の数値となっています。20万円の手取りがあると仮定すると、バビロンの大富豪の教えでは10%、つまり2万円、本多清六の教えでは、4分の1(25%)、つまり5万円を貯金しようと説いています。さらに、ボーナスなどの特別賞与等は100%貯金で、 貯金のスピードをより加速させます。翌年以降に生じる利子や配当金等も収入に組み込んで貯金に回していき、毎月、毎年、この繰り返しを淡々と実践することです。
ここまで聞くと、給与を得るときに給与口座とは別の口座を設定して自動的に給与の4分の1を振り分けるだけじゃないかと簡単に思われる方がいらっしゃると思います。しかし、ここで大切なことは貯金するための方法の複雑さや簡単さではなく、その貯金法を長期間淡々と実行できるかにかかっています。つまり、20万の給与に対して5万円は別口座に自動振り分けして、毎月15万円で生活できるように、ご自身の生活を見直すことができるかにかかっています。本ブログでは、支出の大部分を占める固定費の削減方法や、無駄な出費等がどこで発生しているかについて様々な記事で紹介してきました。是非、これらの記事も合わせて読んで、みなさんの生活を振り返って固定費の見直しを実施してください。みなさんが本記事を読んでくださったように様々な貯金方法について情報収集をされて、知識は十分に身に付けたとしても、実行しなければお金は貯まりません。
4分の1天引き貯金法のポイントについては以下です。
- 実力以下の生活から始めよ
- 2杯目の天丼はうなく食えぬ
- 吝嗇(ドケチ)と倹約は違う
本多清六は、以下のように本に綴っています。
貯金生活をつづけていく上に1番のさわりになるものは虚栄心である。
いたずらに家柄を誇ったりいままでのしきたりや習慣にとらわれることなく
一切の見栄をさえなくすれば4分の1天引き生活ぐらいはだれにでもできる
自分のネウチが銀もしくは銅でしかないのに暮らしのほうは金にしたい
金メッキでもいいから金に見せかけたい
こういった虚栄心から多くの人が節検できないのである
銀はどうせ銀、銀なりに暮らせばいいのであるが
さらに人生をより安全にし生活をより健全にしようとするならば
むしろ一歩退いて(真実は一歩を進めて)
実力以下の銅なり
鉄なりの生活から出発していくべきだろうではないか
倹約生活は、世間一般的にはケチ臭くしみったれた「一歩退いた生活」と見られがちですが、当の本人たちは、自由への「一歩進んだ生活」に向けて取り組んでいるのです。見栄っ張りは資産形成を成功させることはできません。資産形成することに対して、対極的な(お金を浪費する)位置にあります。天丼は、今と比べて簡単に食べられるものではなく、贅沢品でした。そんな贅沢品を2杯も食べることは、お腹は膨れても美味しさは2倍にはなりません。2倍の量やお金を費やしたからといって、幸福は必ずしも2倍にはなり得ないのです。これらの話を聞いて、友人や親しき人との付き合いができないと考える人もいるかもしれません。そのように考える人は、吝嗇と倹約との区別がついていません。 吝嗇というのは、当然だすべきものを出さず、義理人情を欠いてまでも欲張ることです。一方で倹約は、出すべきものをちゃんと出して、義理人情も立派に尽くして、ただ自分に対してだけは足るを知り一切の無駄を排して自己を抑制することです。
投資せよ
上記では、4分の1天引き貯金法と、それを実践するための心の持ちようについて述べました。堅実に実践することによって、貯金は確実に貯まっていきます。貯金がある一定額に達したら、貯金するだけでなく投資に回しましょう。なぜなら、貯金によって増える財産のスピードは自分の稼ぐ力に依存してしまうからです。しかし、世の中は自分の理解以上のスピードと規模で発展していきます。それらに投資することで発展に貢献するばかりではなく、リターンとして投資した以上の金額を得られることがでいます。投資する際に、最も重要なことは国家社会の大勢を利用することです。言い換えると、世の中のトレンドを見つけてその波に乗っかることです。本多静六も、株式や山林に投資を行い、資産を大きく増やしました。
まとめ
本記事では、本多静六がどんな人物であったか、貯金するために実践されていた「4分の1天引き貯金法」について説明しました。みなさんの資産形成を達成するためには、本記事に記載されている内容を理解し、堅実にただ実行するのみです。知識を蓄えるだけで実行しない、また実行するために自分の生活を見直すことができない人は、将来お金に関することで必ず困ります。なぜなら、いまの自身の生活水準に見合った生活を送れていないことで、遅かれ早かれその生活に限界を迎えるからです。そうならないために、本ブログの他の記事も参考に資産形成を一緒に進めていきましょう。読んでいただきありがとうございました。
コメント