私の生い立ち

 私の年齢は20代後半で、日本に大勢いるごく一般的な若者?社会人である。幸運なことに、一般的には大企業とさせる会社に就職し、運命の人と出会い、結ばれて、もうじき父親になる。世間から見れば、順風満帆な人生に見えるだろう。
 しかし、そんな私にも悩みがある。私と同じ悩みを持つ人もいるのだろうか?単なる私の甘えなのかもしれない。私のこれまでの生い立ちに共感してくださる方もいれば、批判される方もいるだろう。しかし、これを読んで救われる人がいるならば、それらの批判は甘んじて受け入れよう。救われる人が1人でもいれば、これを書いた意味もあるだろう。稚拙な文章であることは重々わかっているので、暖かく見守っていただければ幸いである。

私の悩み

 私の悩み、それは自身の将来の目標が定まっていないことである。なにかを達成したい、なにかを成し遂げたいという目標、Goalがないのである。大企業に就職して、結婚もしているお前がなにを言っているのだと思う方はいるだろう。先に断っておくが、就職も結婚も私の判断であり、いまでもその選択をしてよかったと考えている。一生を終えるまで、妻を愛し、子どもを大切に育てるという決意に嘘偽りはない。
 しかし、一度きりの人生を全うするためには、物足りなさを感じてしまう。それを感じてしまう要因が、冒頭でも話したように、人生、将来の目標が定まらない、いや、定められないのである。興味があることに出会えたと思っても長続きせず、次の興味や関心を探している自分がいる。そのため、なにかひとつのことを極めるという経験を知識、知能的な面で成し遂げたことがない。

悩みの原因

 知能的には成し遂げたことがないということは、身体的にはなにか成し遂げたのかと考えていただける読者がいれば嬉しいが、伝わりずらかったら申し訳ない。そんな身体面では、中学では全国大会、大学ではマラソンをしたりと、身体を動かすことに関しては自分の能力を高めたいという強い思い、意志があった。それでは、なぜ私はスポーツマンという人生を選択しなかったのだろうか。選択して決意すれば、成し遂げられるというそんな甘い世界ではないという意見があるだろう。私も同意見である、しかし、私には、そもそもそのような選択ができなかった、させてもらえる環境ではなかったと言える。もちろん、そのような環境にいれば、必ずしもスポーツマンになっていたかと言われれば、そうではないかもしれない。(最終的には自分の意志の弱さがあったのだろうと思う…)
 読者のみなさんからすると、こいつは一旦どんな環境にいたのだろうかと興味があるかもしれないが、あまりいい話ではないので、期待せず、読んでもらいたい。見るに耐えないと思ったら、読むのを辞めていただいて構わない。
 簡単に言うと、親から受けた精神的、身体的なストレスによって、自分で深く考えることを放棄するようになっていた、またはそのような癖がついてしまったと考える。親の言っていることが全て正しく、それに逆らうような人間は平穏に暮らせない環境であった。具体的には、罵声を浴びせられ、ご飯を与えられない、家を追い出されるといような感じである。人気漫画の言葉を借りると、「生殺与奪の権を他人に握らせるな」という部分が、私の場合「生殺与奪の権は親が握っている」と言い換えるに等しい。このような環境で、自分の考えを素直に表出できるかといえば、不可能なことである。なぜなら、親の気に障ればなにをされるかわからなかったからだ。そんな私は、できるだけ親から離れようと、土日も外に出たり、平日も顔を合わせないように、早く布団に入って寝たふりをしたりと、なるべく関わらないように過ごしていた。しかし、一緒に住んでいれば、全く顔を合わさないことは不可能で、毎日親の顔を伺いながら日々を過ごした。
 そんな私にもあるスポーツの地区代表選手として選ばれるほど、頑張っていたものがあった。言わずもがな、親は一度たりとも私の練習に顔を出すことはなかったが。ある日、地区代表の練習に参加しようと家を出る準備をしていると、「どこに行くねん」と一声、私は震えながら「地区代表選手として合同練習に参加する」と返すと、「そんなことしている暇があったら、勉強せ」(私の学力は良いすぎるまではいかないでも、好きな教科では高得点であった)と、そのときの私は頑張っていたことを否定されたと感じ、半ば強引に家を出たが、怒鳴る声で「親の言うことが聞けないなら2度と家に帰ってくるな」という声がした。私はそれでも言いと思い、家をあとにした。練習に参加していると、監督から「親から家に連れ戻すようにと連絡があった」と言われる。私は、半ば強引に出てきたことを監督に話したが、「連れ戻さなければ、警察に連絡する」とも監督は言われたようで、私は泣く泣く家に連れ戻された。幼少期の私にとっては、警察という単語がパワーワードすぎて、逆らえなかったと思い返している。
 あまり気分の良い話では、なかったと思うが、このような話が他にも五万と私の記憶には鮮明に残っているが、当の本人は「そんなことあったか?、教育のためにやったんじゃないか?」と平然と言う。十数年も親の顔を伺いながら、怯えて暮らしていた私にとっては、あれが教育だったのかと「奴隷の間違いでは?」と呆れて物が言えなかった。自分で考えるという、1人の大人として生きていくためには、必要不可欠な能力を奪っておいて、いまでも平然と接してくることに嫌悪感を抱かざるおえない。

精神的支配からの脱出

 そんな私も大学から下宿を始め、何百万の奨学金を背負いつつ、日々の生活費を補うために、アルバイトでなんとか食いつないでいた。大学生活の数年間は、精神的支配からの呪縛を解かれて、サークルの仲間とともに大学生活を謳歌し、修士では返済免除の奨学金を借りることができるぐらいの学力を身につけることはできた。しかし、日々過ごしている中で、どこか周りの仲間や友人と自分を比べると、自分の意見を出す機会があまりにもなさすぎて、周りからはいつも冷静だねと勘違いされる始末である。単純に、なにを自発的に話せば良いのか、どんな話をすれば盛り上がるのかということがわからなかった。
 ここで私は気づいてしまったのだが、十数年に及ぶ精神的支配は、そんな簡単には解くことができないのだということに。

現在の私

 そして現在に至るのだが。思い返すと、私は数多くの友人に恵まれ、その中には私のこのような境遇を理解し、話を聞いてくれる人が何人かいる。そんな彼らとは、十数年近くの関係になるが、今でも年に一回は顔を合わせて、近況を報告している。彼らがいなければ、私は途中で人生を諦めていた可能性は大いにあった。彼らには、本当に感謝している、彼らのおかげで今の私があり、将来の命を育むことができることに。
 私と同じような境遇にいる人は、それがここまで産み育ててもらった親(親族)であっても、あなたにとって負担になっているなら、離れることを考えるべきである。今の日本では、親から離れてすぐに命尽きることはない。あなたの勇気ある行動が、あなた自身を救い、将来生まれてくるであろう命にバトンを渡すになる。自分の環境が周りと比べて、普通でないと感じたら信頼できる人に相談しよう。ここで注意すべきな点は、本当に信頼できる人に相談するということである。信頼できない人に安易に相談すると、その対応によってはさらに最悪な状況になる可能性があり、取り返しのつかないことにもなりうる。どうか勇気ある一歩を踏み出して、自分自身の人生を歩んでほしい。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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